車輪の下で

車輪の再発明という言葉があります。一度他人が発明した車輪を、自分がもう一度発明しなおすのは無駄であり、他者の作ったものを流用するべきである、という言葉です。
注意すべきは、他人の発明した車輪を使うと言うことは、他人の結果のみを使うということです。この際、発明者が発明の過程で得た経験知は引き継がれません。発明者にとっては、過程で得た経験知は無意識に自分の中で常識となっており、明文化しないからです(この程度は常識レベルという思い込み)。
組織の内部で車輪が発明され、流用された場合、このギャップがトラブルの原因となります。車輪の流用者は、仕組みを知らなくても車輪を使えてしまうため、忙しいとどうしても深く理解せずに、車輪が正しいという前提で使用してしまいます。このため、車輪が原因でトラブルが起きた場合、流用者にとっては「思いもよらなかったこと」となり、発明者にとっては「チェックが甘い」ということになります。大抵の場合、発明者の方が先輩であるため、流用者は発明者から「勉強不足だ!」と怒鳴られながら、心の中で「んないい加減な車輪を作るんじゃんねーよ。」と悪態をつくことになります。
叱責の嵐を終えた後は、反省会という名の飲み会になだれ込みます。互いに酒を飲み、距離を慎重に図りながら、発明者の昔話と流用者の悩みを表層的に語り合います。反省会の帰り道、管理職は自分のマネジメント力に満足し、発明者は最近生意気な流用者をシメて満足し、流用者はとりあえず嵐が過ぎたことに安堵します。
かくして今回も根本的解決はなされず、歴史はぐるぐると回り続けます。さながら車輪のごとく。